今回はLinton Kwesi Johnsonの「Bass Culture」
から「Inglan Is A Bitch」を紹介したらけっこう
アクセスがあったので、図に乗って(笑)もう
ひとつ「Bass Culture」から「Loraine(ロレイン)」
を紹介して見ようと思います。

この「Bass Culture」はオリジナルは1980年
に発売されていますが、日本では東芝EMIから
81年に発売されています。
当時はまだLPの時代で、、中にはジャケット大
の2つ折りのライナー・ノーツが付いていて、
そこに山名昇さんの解説文と英文の歌詞、そして
山本安見さんの訳詩が付いていました。

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Linton Kwesi Johnson - Bass Culture (LP)

今回はその中から「Loraine(ロレイン)」を紹介します。

Linton Kwesi Johnson - Loraine



●ロレイン(Loraine)

雨が降るたび
きみを想う
そして、いつも思いだす
五月のあの日を…
雨に濡れて歩く
きみを見た時
自分でも理解できない
不思議な感情に襲われた
普段の私は
ひどく内気なのに…

名前を尋ねた
微笑みを浮かべ、きみは答えた
―ロレイン、と―
傘に入れてもらっていいですか、と私
微笑みを浮かべ、きみは答えた
「なんて厚かましい人なの」

雨の中、立っている
無駄なこととは知りつつ
ロレイン
もう一度、きみに会いたい
涙が頬を流れる、雨のように
ロレイン
頭がひどく痛む
ロレイン
きみは私を狂わせる

雨が降るたび
きみを想う
そして、いつも思いだす
五月のあの日を…
雨に濡れて歩く
きみを見た時
自分でも理解できない
不思議な感情に襲われた
普段の私は
ひどく内気なのに…

きみを一目見たその瞬間
私は知った
きみと人生を共にしたい、と
あの瞬間から、考えつづけている
きみを妻に迎えたいと、と

雨の中、立っている
無駄なこととは知りつつ
ロレイン
もう一度、きみに会いたい
涙が頬を流れる、雨のように
ロレイン
頭がひどく痛む
ロレイン
きみは私を狂わせる

雨が降るたび
きみを想う
そして、いつも思いだす
五月のあの日を…
雨に濡れて歩く
きみを見た時
自分でも理解できない
不思議な感情に襲われた
普段の私は
ひどく内気なのに…

勇気を出して、いった
「私の部屋で、コーヒーでも…」
眉をしかめて、きみは答えた
「ここでキスしたらどお?
この気違い!」
恥かしかった
気がつかないうちに
バスは、きみを乗せて
走り去った

雨の中、立っている
無駄なこととは知りつつ
ロレイン
もう一度、きみに会いたい
涙が頬を流れる、雨のように
ロレイン
頭がひどく痛む
ロレイン
きみは私を狂わせる
ロレイン、ロレイン、ロレイン

(東芝EMIのLP、Linton Kwesi Johnson「Bass Culture」
から「Loraine(ロレイン)」、山本安見さんの訳詩より)


歌詞を要約すれば、雨の中を濡れて歩く彼女ロレイン
を見て恋心を抱いた内気な彼Linton Kwesi Johnsonは、
勇気を出して彼女の傘に入れてもらうが、さらに勇気を
出して家のコーヒーに誘うが「このキチガイ!」と
罵られてバスに乗り込まれてしまい、恥かしさを感じ
ながら呆然と立ち尽くす。
雨が降るたびにその事を思い出し、無駄とは知りつつ
雨の中に濡れたまま立ち尽くす、というのがこの歌の
内容です。

実はこの歌ずっとラヴ・ソングだと思って、覚えて
いました。
英国で暮らすLinton Kwesi Johnsonの辛い生活を
歌ったアルバムの中で、ただ一つ場違いなほどの
甘い曲というイメージでした。
この曲を始めて聴いた80年当時におそらく歌詞も
読んだはずなんですが、たぶん曲を聴いているうちに
切ないラヴ・ソングというイメージで覚えていたん
ですね。

ところが今回再びこの歌の歌詞をよく見てみると、
かなり過酷な内容の歌詞だという事が解ります。
雨に濡れて歩く彼女を見て惹かれた彼は、傘に入れて
もらい、家に誘うが「キチガイ!」と罵られて
立ち去られる…およそ恋とも言えないような淡い想い、
なのに彼は無駄と知りつつ立ち尽くす…。

この歌詞の矛盾する点に気付いたでしょうか?
雨に濡れていたのは彼女ロレインなのに、その
ロレインの傘に入れてもらう…なんか変ですよね。
どうもこの歌詞をよく読んでみると、実はダブル・
ミーニング、つまり2つの意味合いを重ねた歌詞
になっているんですね。
つまりひとつは「私」とロレインの恋とも言えない
淡い想いであり、もうひとつの隠れた意味としては
「黒人の移民としての私」と「白人の住む国イギリス」
という関係です。
つまり一見ラヴ・ソングと見えるこの歌にも、他の
アルバムの曲と同様なイギリスと移民としての自分
との関係が歌われているんですね。

そう考えると「濡れているロレイン」は、疲弊して
いるかつての大国イギリスであり、「傘に入れて
もらう」は入国申請をして移民として受け入れて
もらう事を意味します。
そして移民の彼はイギリスに憧れを抱きます。
そして勇気を出して一緒に生きていこうと「彼」は
語り掛けるのですが、ここでイギリスは冷酷な牙を
むき、「このキチガイ!」と移民の彼を突き放すん
ですね。
つまりもうひとつの意味として、入国はさせて
もらえるけれど、けっして同じ市民としては受け
入れてもらえない移民の辛さが、この歌詞には
隠れているんですね。

そして無駄とは知りつつ「彼女」を待って、雨の中を
呆然と立ち尽くす…。

あらためてこの歌を調べてみると、この70年代から
80年代にかけてのイギリスにおける黒人の過酷な
現実が綴られた歌だったんだなぁと思います。
ある意味その時代からはこと黒人という事では少しは
改善しているのかもしれませんが、今の世界で見ても
相変わらず差別はあり、大国の思惑で難民となる人が
居て、世界が平和で平等な社会になっているとは言い
難いのが現状です。

私達は不平等な世界で暮らしている、そう主張する
このLinton Kwesi Johnsonのような詩人が居てくれる
ことは、社会にとって必要なのでしょう。
この80年代もそして今の時代でも…。
常にその最前線に立ち、そうした問題を訴えて来た彼は、
やはり偉大なダブ・ポエトの詩人なんだと思います。

リントン・クウェシ・ジョンソン - Wikipedia

Linton Kwesi Johnson - Inglan Is A Bitch