これから時々ですが、レゲエの歴史や用語などに
付いての「簡単レゲエ講座」みたいなものを
書いて行こうと思っています。

まず1回目は「ジャマイカの音楽史」について
書いてみようと思います。

こうしてレゲエのアルバム評などを書いていると、
そのアルバムが良いか悪いかという事も大切ですが、
そのアルバムが何年に作られてどういう意味が
あったのか?という事も、とても重要だという
事に気づかされます。
音楽ってただ良い悪いではなくて、その時代とともに
変化するところがあって、誰かが音楽の発明をすると
それによって劇的に変化して行く事があるんですね。
音楽を見る時にはそうした時代の変化によって
変わって行く部分を見る事も大切です。


まず大雑把に言うと、ジャマイカの音楽は、

メント→スカ→ロックステディ→レゲエ

という変わり方をしています。

さらにこれに年代を載せると、

メント(1950年代)→スカ(50年代後半~)→
ロックステディ(66年~68年)→レゲエ(60年代後半~)

となります。

さらにレゲエの時代を見てみると、

ルーツ・レゲエ(1960年代後半~70年代)→
初期のダンスホール・レゲエ(80年代前半)→
デジタルのダンスホール・レゲエ(85年~)

という変わり方をしています。

これらを順番に見て行きたいと思います。


○メント(Mento) - 1950年代

「メント(Mento)」は大雑把に言うと、1950年代に
ジャマイカで聴かれていたフォーク・ソングです。

メント - Wikipedia

このメントはジャマイカの労働歌のような音楽で、
もっとも有名な曲としてはジャマイカ系のアメリカ人
ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)の歌う
「バナナ・ボート(Banana Boat)」がよく知られて
います。
「バナナ・ボート」ってカリプソじゃないの?と思った
人も居ると思いますが、実はメントなんですね。
実はカリプソはジャマイカの音楽ではなく、隣国の
トリニダード・トバゴのカーニバルで発達した音楽
なんですね。

カリプソ (音楽) - Wikipedia

アメリカではまだメントに対する知名度が無かった
為に、カリプソという事にしちゃったんですね。
その混乱が今も尾を引いているという訳です。

ともあれジャマイカの音楽史に一番初めに登場する
音楽は、メントなんですね。


○スカ(Ska) - 1950年代後半~1960年代

そしてメントの次に登場する音楽が「スカ(Ska)」です。
スカはもともとはアメリカ音楽のリズム&ブルース
(R&B)やブルースに影響を受けて、1950年代後半
に誕生したと言われています。
この頃になるとジャマイカにもアメリカ音楽が入って
来て、サウンドシステムなどでレコードの曲をかけて
踊るイベントが行われるようになって来るんですね。
そのうちに徐々にミュージシャンが育ってきて、そうした
ミュージシャンが作り上げた音楽がスカでした。

このスカはジャマイカ国内で人気を博しただけでなく、
そのうちにイギリスにも輸出される事になります。
イギリスではこのスカのサウンドがイギリスの不良少年
の間で人気となり、輸入元のレーベBlue Beatの名前から
「ブルー・ビート」と呼ばれて聴かれるようになるん
ですね。
こうして海外でも認められたことで、ジャマイカの音楽
産業はさらに発展して行くんですね。

スカ - Wikipedia

それまでジャズをやっていたミュージシャンも、
このスカのブームに乗ってスカを演奏するように
なります。
もともとR&Bやブルースに影響を受けて始まった
スカですが、ジャズのミュージシャンが入り込んで
来た事で、管楽器を使ったビッグ・バンドのような
ジャズ的な要素も持ち始めるんですね。

そうして誕生したバンドがThe Skatalitesです。
サックスのTommy McCookとRolando Alphonso、
トロンボーンのDon Drummond、キーボードの
Jackie Mittooなどを中心としたこのグループは、
ジャマイカの音楽史の初めに名を刻むビッグ・
ネームのバンドです。
今多くの人がイメージするスカを作ったのが、この
The Skatalitesなんですね。

アーティスト特集:Skatalites(スカタライツ)

ただこのグループの活動期間は、1963年から
65年とわずか3年余りで、意外と短いんですね。
その解散の理由はメンバーの中でスターだった
Don Drummondが、精神に異常をきたして恋人を殺害
して投獄されてしまった事が原因と言われています。
(ちなみにThe Skatalitesはその後も何回も再結成
されています。)

The Skatalites / RINGO


このスカの時代に人気だったレーベルは、
Studio OneとTreasure Isleです。
Studio Oneは主催者C.S. Doddを中心とした
レーベルでスカからルーツ・レゲエの時代まで
人気のあったレーベルで、その確かな音楽性
から「レゲエのモータウン」と呼ばれるレーベル
です。
そのライバルがTreasure Isleレーベルで、
主催者Duke Reidを中心に、初期レゲエの頃まで
活躍したレーベルです。

またこのスカの時代の1962年にジャマイカ
は、イギリスからの独立を果たしています。
それまではイギリス領という事になっていたん
ですね。


○ロックステディ(Rocksteady) - 1966年~68年

さて次に来るジャマイカの音楽がロックステディ
(Rocksteady)です。
ロックステディはそれまでのスカがリズミックな
音楽だったのに対して、スローで甘いメロディが
特徴的な音楽です。

ロックステディ - Wikipedia

そのブームの中心となったのが、The Skatalites
のメンバーだったJackie Mittooと、トリニダード・
トバゴ出身のギタリストLynn Taitt(リン・テイト)
でした。

ところがこのロックステディという音楽は、66年から
68年という、わずか3年あまり流行した音楽だった
んですね。
スカに変わって大流行しながらわずか3年余り
で流行が終わってしまったのは、中心人物であった
Jackie MittooやLynn Taittがカナダ移住を決めて
しまった為だと言われています。

ただこのロックステディの時代ぐらいになると、
ジャマイカも徐々に音楽産業が充実して来て、
多くのスターや多くの名曲が生まれるようになって
来るんですね。

このロックステディの時代をけん引したレーベルが、
スカの時代にも登場したStudio OneとTreasure Isle
です。
Studio OneはJackie Mittooを中心として、Rolando
AlphonsoやCedric 'IM' Brooks、Leroy Sibblesなどが
参加したバンドSound Dimensionなどをバック・バンド
として数々の名曲を作り上げていきました。
一方のTreasure Isleも、Tommy McCook & Supersonics
をバック・バンドとして、このロックステディの時代に
一世を風靡するんですね。
他にLynn Taitt & The Jetsも数々の名曲をこの時代に
残しています。

タレントも育ってきて、Alton EllisやHopeton Lewis、
Ken Bootheなど多くの歌手がこの時代に大活躍する
ようになって行くんですね。

その中でも忘れられないのが、The Heptonesです。
彼らの発表したアルバム「On Top」は、ジャマイカで
一番売れたアルバムと言われています。
Sound Dimensionのベーシストとしても活躍した、
リード・ヴォーカルのLeroy Sibblesを中心とした
3人組で、その甘いコーラス・ワークは一世を風靡
するんですね。

heptones_01a
The Heptones - On Top (1968)

The Heptones - Pretty Looks Isn't All


このロックステディの時代は本当に名曲がたくさん
生まれた時代で、そのリズムは20年後30年後の
レゲエの時代まで「名リディム」として使われ
続ける事になるんですね。


○レゲエ(Reggae) - ルーツ・レゲエ 1960年代後半~1970年代

さて66年から68年までのわずか3年間で終わって
しまったロックステディに代わって登場して来た音楽が
レゲエ(Reggae)です。
60年代の後半、69年頃からはやっとレゲエの
時代になるんですね。
このレゲエは今日まで続いている音楽という事に
なります。

ただここからがすごく複雑で、一言でレゲエと言っても
ルーツ・レゲエ、ダンスホール・レゲエ、さらには
ラヴァーズなど様々なレゲエがあるんですね(笑)。
細かく説明しているとものすごく長くなってしまうので、
今回はザックリと行きます。

まずは60年代の終わり頃のレゲエの誕生から70年代
いっぱいぐらいまでがルーツ・レゲエの時代です。

この時代はスカの時代ぐらいからミュージシャンの間で
浸透し始めたラスタファリズムという宗教の影響を
強く受けた時代です。
ラスタファリズムは黒人層を対象にした宗教で、自然崇拝、
アフリカ回帰、マリファナ信仰などを中心にした宗教
でした。
そのラスタファリズムの影響を強く受けたレゲエという
音楽は、アメリカのような汚れた文明社会の音楽を否定
し、アフリカという自分のアイデンティティに根ざした
音楽を志向するようになるんですね。
歌詞はプロテスト色が強くなり、曲調はアフリカ色の
強いものになっていきます。

そしてこのラスタファリズムによるプロテスト色の強い
歌詞とアフリカ色の強い音楽性を持ったレゲエは、
ついに世界的なブレイクを果たすんですね。
そうしたブレイクを果たした裏には、スカの時代から
徐々に音楽性を磨き、多くのタレントを育てていった
10年以上をかけた努力の上でのブレイクだったん
ですね。

レゲエ - Wikipedia

今はこの時代のレゲエを他と区別するために「ルーツ・
レゲエ」と呼びますが、当時はただレゲエと呼ばれて
いました。
のちにダンスホール・レゲエやラヴァーズロック・レゲエ
などいろいろなレゲエが生まれた為に、他と区別する為に
ルーツ・レゲエと呼ぶようになったんですね。

この時代に活躍したレーベルとしては前半はStudio One、
後半はChannel Oneが挙げられます。
Studio Oneはそれまでの実績を武器に、Bob Marleyや
Burning Spearなど数多くのレゲエ・ミュージシャンを
レゲエの最前線に送り出しました。
後半に少しStudio Oneの力が落ちて来た時に頑張った
レーベルがChannel Oneです。
Sly Dunbarの叩き出す攻撃的なミリタント・ビートを
武器とするChannel Oneのバック・バンドThe Revolutionaries
の演奏に支えられて、Mighty Diamondsをはじめとする
多くのミュージシャンがこのレーベルで活躍しました。
他にRandy'sやJoe Gibbsなど多くのレーベルが、世界的
ブレイクの影響で活躍できる環境になって行ったん
ですね。

この時代のアーティストの中で、絶対に忘れられ
ないのがBob Marleyです。
彼は60年代のスカの時代より、Peter ToshとBunny Wailer
とともに3人組コーラス・グループThe Wailersとして
活躍してきた人なんですが、レゲエの時代になりバックの
Barrett兄弟も加えた5人組グループThe Wailersとして、
Islandレーベルから世界にメジャー・デビューするんですね。
そのアルバムが1973年に発売されたThe Wailersの
アルバム「Catch A Fire」です。

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The Wailers - Catch A Fire (1973)

このアルバムからレゲエという音楽の快進撃が始まるん
ですね。
その後3枚目のアルバムの時にPeter ToshとBunny Wailer
が脱退し、バンド名はBob Marley & The Wailersと変わり
ますが、Bob Marleyはレゲエのシンボルとして頑張り
続けるんですね。
しかし残念な事に81年に他界しています。

Bob Marley & the Wailers - Concrete Jungle - live 1973 Old Grey Whistle Test


またBurning Spearのアルバム「Marcus Garvey」は、
レゲエを聴くならまずこれ!という「定番アルバム」
としてよく知られています。
Bob Marleyのメジャー・デビューして以降の楽曲は、
白人層などでも聴き易いようにロック色が強く
アレンジされていますが、当時地元のジャマイカで
活躍していたBurning Spearのこのアルバムは、
まさにアフリカ色の強い当時のルーツ・レゲエ
そのもののサウンドだったんですね。
またこのアルバムはミリタント・ビートの代表的な
アルバムとしてよく知られています。

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Burning Spear - Marcus Garvey (1975)

Burning Spear - Marcus Garvey - 01 - Marcus Garvey


他にも数え切れないほどの歌手やグループが登場した
のが、このルーツ・レゲエの時代でした。

またそれまでに無い形式の音楽が生まれたのもこの
時代でした。
その代表的な音楽がダブとディージェイです。


●ダブ(Dub) - 1973年~
ダブという音楽は、リミックスの元祖とも言われる
音楽で、楽曲のリズムを強調してミキシングして、
エコーやリバーブなどのエフェクトを過剰に施す
事で、原曲とは全く別の作品に作り変えてしまう
手法の事です。

ダブ - Wikipedia

それまでこの音楽の世界では、音楽をどれだけ
生演奏に近い状態で再現するかという事が中心
だったんですね。
実際には演奏を繋ぎ合わせていても、どれだけ
違和感なく自然な演奏に近く見えるように再現
するかという事に重点が置かれていました。
ところがその「約束」を破って、あえて違和感
を強調した音楽、それがダブなんですね。
これは現代の音楽に通じる画期的な事だったん
ですね。

このダブという音楽は70年代の初め頃から
作られるようになるのですが、73年にLee Perry
プロデュースのThe Upsettersの「Blackboard
Jungle Dub」、Herman Chin-Loyの「Aquarius Dub」、
Randy'sのミキサーErrol Thompsonの手による
Impact Allstarsの「Java Java Java Java」などの
最初期のダブ・アルバムが一斉に発売されるんですね。
それによってダブという音楽は、レゲエの1ジャンル
として広く認知されるようになります。


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The Upsetters - Blackboard Jungle Dub (1973)

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Herman Chin-Loy - Aquarius Dub (1973)

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Impact Allstars - Java Java Java Java (1973)

ちなみにダブという音楽は、誰が初めに作ったかは
諸説あり、よく解っていないんですね。
ただダブという音楽のスタイルを完成させたのは、
King Tubbyだと言われています。

そのダブの代表的なアルバムとして最も有名な
アルバムが、Lee Perryの「Super Ape」です。
切り貼りにエコー、そしてアフリカンなリズム
が詰め込まれたこのアルバムは、ダブのもっとも
代表的アルバムとして長い間愛され続けて
来ました。

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Lee Perry - Super Ape (1976)

Lee Perry - Zion's Blood


他に前述のKing Tubby、「Pick A Dub」を作った
Keith Hudson、Randy'sからJoe Gibbsで活躍した
Errol Thompsonなどが、創世記のダブで活躍した人
として知られています。

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Keith Hudson - Pick A Dub (1975)


●ディージェイ(Dee-Jay) - 1970年代~
ディージェイもレゲエという音楽が生みだした
新形態の音楽です。
このディージェイという形態が誕生するまでは、
音楽の中で歌を歌うという事はあっても、曲に
合わせて「しゃべる」という事はした人は
居なかったんですね。
その曲に合わせてしゃべる「トースティング」
という行為を初めて行ったディージェイが
U Royという人なんですね。

それまでもジャマイカではサウンドシステム
などで、レコードなどの曲をかける初めや
間奏部分で掛け声をかけて場を盛り上げる
「盛り上げ係」としての「ディージェイ」と
いう仕事はあったんですね。
そうしたディージェイは徐々にレコーディング
にも進出し、曲の冒頭に掛け声をかけたりして
いたんですが、その名前はクレジットされない
ほど低い立場だったんですね。

そこに登場したのがU Royというディージェイ
でした。
なんと彼は曲の冒頭や間奏部分ではなく、曲の
中でしゃべったんですね。
それは音楽の歴史の中で、それまで誰もした
事の無い事だったんですね。

そのU Royの初めてのディージェイ・アルバム
「Version Galore」は多くの人たちに衝撃を与え、
のちにアメリカのラップを生みだしたとも
言われています。
そのため彼は「元祖ラッパー」と言われる事が
あります。

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U-Roy - Version Galore (1971)

U-Roy - Version Galore


このU Royのディージェイというスタイルは、
ジャマイカでも大ブームを巻き起こし、I Royや
Big Youthなど多くの追随者を生み出す事となり、
ディージェイはレゲエの1ジャンルとして確立
して行くんですね。


●UKレゲエ - 1970年代半ば~

イギリスではスカの時代からジャマイカの音楽
が受け入れられた事もあって、その後のロック
ステディの時代になってもBob Andyなど多くの
ジャマイカのミュージシャンがUKのヒット・
チャートでヒット曲を出していたんですね。

その流れはレゲエの時代になっても続き、初期
レゲエの頃にはToots & The MaytalsやLeee Perry
のバンドThe Upsettersなどがイギリスのスキン
ヘッド族の間で人気となり、「スキンヘッド・
レゲエ」として愛されていました。
ちなみにこの時代のThe Upsettersは、まだダブ
を演奏するグループではなく、硬いドラにオルガン
のメロディを乗せた軽快なインストを演奏する
グループだったんですね。

そうしたレゲエを受け入れる素地がすでにあった
イギリスでは、移民した黒人層などを中心に
レゲエのバンドも結成されていったんですね。
それが「ブリティッシュ・レゲエ」、今では
UKレゲエと呼ばれる動きです。
(当時は「ブリティッシュ・レゲエ」という
呼び名が一般的でした。)

初期のUKレゲエのバンドでは、AswadやMuatumbi、
Steel Palse、UB40などがよく知られています。
ジャマイカ以外で最も早くレゲエのムーヴメント
が起きたのは、このイギリスだったんですね。

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Aswad - Aswad (1975)


●ワッキーズ(Wackies) - 1970年代半ば~

一方音楽市場として最も大きいアメリカでは、
レゲエが浸透するまでに時間がかかるんですね。
その浸透しなかった大きな要因として考え
られるのは、すでにアメリカでは黒人層に
人気の音楽があったという事が挙げられます。
アメリカでもこの時代になるとそれまで最下層で
生きてきた黒人層が力を付けて来て、音楽も
黒人層に人気のソウルとファンクという2つの
音楽があったんですね。
そうしたアメリカの黒人の心情を歌った音楽が
すでにあった為に、「外国」の音楽である
レゲエはなかなか浸透しなかったようです。
あのレゲエの最大のスターであるBob Marley
ですら、人気が出たのは彼の生前最期のアルバム
1980年の「Uprising」の頃だったそうです。

そうした「レゲエ不毛の地」アメリカで頑張って
いたのがWackiesというレーベルです。
70年代半ばぐらいからニューヨークの地下の
スタジオを拠点に、主催者Lloyd Barnesを中心に
彼らは理想のレゲエを追及し続けるんですね。

レーベル特集:Wackies(ワッキーズ)

アメリカで受け入れられなかったという事が
逆に良い方向に作用したのか、本場ジャマイカ
以上に純化してダブワイズしたサウンドは
今も高い評価を受けています。
またこのレーベルには、アメリカでの成功を
求めて海を渡ったSugar MinottやHorace Andy
など多くのアーティストが素晴らしいアルバム
を残しています。


○レゲエ(Reggae) - 初期のダンスホール・レゲエ 1980年代~80年代半ば

レゲエの誕生から10年近く経った80年代頃
になると、レゲエにも新しいサウンドを求め
られるようになって来るんですね。
そうした時代の要求にこたえて誕生したのが
ダンスホール・レゲエです。
それまで「思想の音楽」であったレゲエは、
「踊るための音楽」へと変貌して行くんですね。
ある意味今多くの人がイメージするレゲエは、
この時代に作られたとも言えます。

この時代をけん引したのは、Henry 'Junjo Lawes
率いるVolcanoレーベルでした。
大手レーベルGreensleevesから資金を得た彼は、
ダンスホール・レゲエのスターとしてBarrington Levy
やディージェイのYellowmanなどを売り出し、
それまでのレゲエの歴史を塗り変えていくん
ですね。

レーベル特集:Volcano(ヴォルケイノ)

例えばScientistの「漫画ジャケ・シリーズ」では、
プロデュースがHenry 'Junjo LawesかLinval Thompson、
ミックスがScientist、演奏はRoots Radics Bandで、
ジャケット・デザインはTony McDermott、そして
ドラキュラやミイラ男、インヴェーダー・ゲーム、
パックマンにサッカー、ボクシングという「ギミック」
をセットにした「エンターテインメント」としての
レゲエを作り上げて行くんですね。

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Scientist - Rids The World Of The Evil Curse Of The Vampires (1981)

それまであったラスタファリズムなどの思想性は
後退した反面、娯楽としての音楽性は充実して
行きます。
この80年以降レゲエという音楽は、「コンシャス」
よりも「スラックネス」を中心とした音楽に
変わって行くんですね。

ちなみにこのVolcanoレーベルですが、ジャマイカ
国内はVolcano、それ以外の「海外」はGreensleeves
という販売の住み分けをしていたようです。


○レゲエ(Reggae) - デジタルのダンスホール・レゲエ 1985年~

80年代も半ば頃になると、また新しい動きが
レゲエに起こります。

85年にPrince JamyがプロデュースしたWayne Smith
の曲「Under Me Sleng Teng」が大ヒットします。
これはカシオトーンを使った曲で、ジャマイカ初の
デジタル録音を使った大ヒット曲でした。

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Wayne Smith - Under Me Sleng Teng (1985)

Wayne Smith - Under me sleng teng


それまではジャマイカでは生演奏での録音が主流で、
デジタル機材を使った録音「打ち込み」はあまり
行われていなかったんですね。
これを機にジャマイカではPrince Jamy→King Jammy
(に改名)による「デジタル革命」別名「コンピューター・
ライズド」の大ブームが起きるんですね。
それまで人を集めて制作されていた録音は、デジタル
機材を使用した少人数の録音に変わり、音楽制作が
一気に効率化されて大量に曲が量産されるようになる
んですね。

もちろん負の側面で言えば、大量のミュージシャン
が職を失ったという事がありますが、この時代は
同じように他の職業でも事務処理がパソコンで
行われるようになったりとか、それまで幅を効かせて
いた「経験」というものが役に立たなくなった時代
なんですね。

この時代のレーベルとしては、やっぱり革命を
起こしたJammysが真っ先に挙げられます。
他にMusic Warksとか、今も活躍している多くの
レーベルが誕生したのもこの時期でした。

その後の90年代も「スラックネス」だったレゲエを
「コンシャス」なものに引き戻そうとしたGarnet Silk
の登場などいろいろあるのですが、残念ながら私は
この90年代以降のレゲエにはあまり詳しくないん
ですね。
なのでこのあたりにしておきます。

ただレゲエがその後世界に拡散して、アフリカン・
レゲエや日本でも盛んになるなど、拡散して行った
のは間違が無さそうです。


以上がザクッとしたレゲエ及びジャマイカの音楽の
歴史です。
こうした歴史をある程度憶えていて、そのアルバムが
何年に作られたアルバムか?を知って聴くと、レゲエ
という音楽がより楽しめるのではないかと思います。

「ローマは1日にして成らず」といいますが、
レゲエという音楽ブレイクを果たすまでには、
スカという音楽が60年代で認められたこと、
それによって音楽産業が栄えて66年にロックステディ
が誕生し、68年にロックステディが終わった後に
60年代の終わりにやっとレゲエが誕生している
んですね。
スカから10年の「熟成期間」があったことを
忘れてはなりません。

また振り返ってみるとレゲエという音楽は
70年代のルーツ・レゲエと80年代のダンスホール・
レゲエという2つのピークを持っている事が解ります。
70年代は思想的でアフリカンだったレゲエは、
80年代に入ると快楽的でアメリカナイズされた
音楽へと変わっていきます。
そのあたりの全く正反対の二面性もレゲエという
音楽の面白いところです。

いろいろ足りない部分や抜けている部分もあると
思いますが、よかったらレゲエという音楽を聴く時の
参考にしてください。

では「簡単レゲエ講座」の1回目はこのへんで。